私が住んでいた家は、3軒長屋の真ん中で、12畳一間、お風呂もトイレも水道も無い。
近くの井戸からよく水汲みをした。たまに井戸浚いがあって、父親が不在だったので、代わりに手伝いに行かされた。子供が出来ることは、井戸浚いが終わった後に、井戸の周りを掃除することぐらいである。我が家に水道がひかれたのは、小学3年生頃である。
トイレは20メートルくらい離れたところに共同便所があった。トイレの扉は上が1/3位空いていたので、覗こうと思えば上から覗くことが出来た。共同便所の路地を挟んで焼鳥屋があった。この焼鳥屋は、自分のところで鶏を下ろしていた。便所に行こうとすると、首から上が無い鶏が、路地を走って来ることがある。かなり怖かった。共同便所には灯りが無く、路地には街灯も無かった。夜になると懐中電灯を持って、便所に行かなければならない。首から上が無い鶏の恐怖で、夜はなかなか一人で便所に行けなかった。
お風呂は近くの銭湯に行く。小学校に上がるまでは、母親と一緒に女湯に入っていた。好奇心旺盛な私は、よく母親に質問をして、母親を困らせたらしい。小学校に上がって、男湯に一人で入るようになった。早い時間に銭湯に行くと、刺青を入れたおじさんたちが、よく入っていた。刺青を落書きと思い、消してあげようと、よく背中を流してあげた。