自衛隊の人の話では、一次試験に合格したもう一人の人が、全科目40点以上の成績で合格しているということだった。私はというと、全科目30点ぎりぎりで合格しているということだった。担当の自衛隊の人は、とっても分かりやすい性格で、二次試験を受けても私は合格しないと思っているのが、よく分かった。
2月の初め頃二次試験があった。会場は郡山駐屯地だった。会場までは自衛隊の車で送ってもらった。二次試験は、作文と健康診断と、面接である。試験内容はよく覚えていない。帰りの車の中で、担当の人から、もう一人の合格者が、海洋少年団にも入っていて、両親とも子供が自衛隊に入るのを希望しているという話をきかされた。合格発表は3月1日だが、この時点で、既にもう一人の方が合格と思っているようだった。
昭和54年2月28日の放課後、私が体育館にいると、教頭先生が来た。「高橋、合格したぞ!」「えっ?」「自衛隊に合格してる!」と言われた。合格発表の日より1日早いが、自衛隊の人が、学校に電話をして、教頭先生がその電話に出られたそうだ。私が行っていた中学校は、どちらかというと自衛隊に対してあまり快く思っていない学校だった。そんな中で教頭先生だけは喜んでくれた。母親にも電話があったようだが、母親はあまり理解していないようだった。