私が通っていた中学校では、高校に合格したり就職先が決まると、名前が廊下に張り出される。ところが、いつまで経っても私の名前は張り出されない。
ある日、見かねた他のクラスの先生が、教室の後ろにある黒板に、「祝合格海上自衛隊 高橋一雄君」と大きな字で書いてくれた。卒業式に父兄に配られるプリントにも私の名前はなく、就職者欄にその他1名となっていた。たぶん気が付いた人はいなかったろう。
入隊は広島県江田島町にある少年術科学校である。私は福島から一人で広島まで行くつもりでいた。ところがそのことを知った自衛隊が、危険だからと付き添いを1名出してくれることになった。さすがにそれは申し訳ないと断り、母親と叔母と叔母の旦那さんが一緒に行くことになった。
昭和54年4月3日、故郷を離れる日が来た。福島駅に行くと、友達や親戚の人たちがたくさん見送りに来ていた。出征兵士のようだった。私が乗る特急がホームに入って来た。それまで、百恵ちゃんの「いい日旅立ち」が流れていたが、突然「蛍の光」に曲が変わった。これには参った。こらえきれず涙が出てしまった。後で聞いたら、親戚の人が駅に頼んで「蛍の光」を流してもらったそうだ。更に叔母の旦那さんが国鉄職員だったため、電車賃が安くなった。