中央観閲式が終わると、2年生は箱根の史跡研修に向かった。
3年生は自衛隊のバスで横須賀基地まで移動。
そこから3隻の護衛艦に分乗し、江田島まで三泊四日の乗艦実習である。
先輩からは、酔い止めの薬は絶対に飲むなと言われていた。
酔い止めの薬を飲んでいると、いつまでも艦に慣れないらしい。
その忠告を守って、酔い止めの薬は持って行かなかった。
夕方、横須賀港を出港。
浦賀水道を通って相模湾沖に出た。
艦橋から富士山がきれいに見えた。
江田島で一緒に柔道をした人が通信士で乗艦していたので
「富士山がきれいですね」と話しかけると、
「富士山がきれいに見える時は、風が強いので海が荒れる。
ビニール袋を用意しておけ」と言われた。
だんだん艦が揺れ出した。
甲板掃除が終わって、夜食の時間になったが、
食�堂まで行かれない。
2100(21時00分)から通信訓練が予定されていたが、
電信室にたどり着けない。
ベッドとトイレの往復である。
三泊四日の地獄の航海が始まった。
若い調理員が、何か胃に入れておかないといけないと言って、
毎食ベッドまで冷凍ミカンを持って来てくれた。
冷たくて美味しかった。
後で聞くと、船酔いに冷凍ミカンが一番いけないらしい。