昭和57年7月1日「護衛艦はるな」での生活が始まった。
朝6時ラッパで起床、上甲板で体操。
学校と違って、総員起こしはかなり緩い。
楽勝である。
その後、甲板掃除、朝食となるはずであった。
体操をしていると、2分隊の甲板海曹から掃除をしないで食堂に行くように言われた。
食堂に行くと、番長と呼ばれている人から「早く飯を食え」と言われた。
番長とはシャリ番長のことである。
後で分かったことだが、正式には食卓番長である。
食事の前になると毎回「食卓番手を洗え」と艦内マイクが入る。
シャリ番になると早飯が出来るのである。
なぜ早飯が出来るかというと、シャリ番とは食器洗い係だからである。
私は初日の朝からシャリ番となったわけである。
シャリ番は5~6名いたと思う。
食器洗いと言っても洗浄機があるわけではない。
全て手洗いである。
洗うものは、お子様ランチのプレートを大きくしたような鉄板、
プラスチック製のお椀、はし、湯吞など。
これを朝、昼、夕、夜食と一日4回、
乗員350人分を毎日洗うのである。
天敵はカレー、納豆、生卵。
毎週金曜日の昼はカレーだ。
シャリ番にとっては魔の金曜日である。
このシャリ番を退艦する日の朝まで毎日やることになるのである。