私が乗った「護衛艦はるな」は第2護衛隊群の所属である。
艦隊は第1〜第4護衛隊群まである。
一つの護衛隊群は8隻の護衛艦で編成されている。
第1護衛隊群の母港は横須賀。
第2護衛隊群は佐世保。
第3護衛隊群は呉。
第4護衛隊群は舞鶴である。
華の1群、訓練の2群と言われ、その名の通り、第2護衛隊群はいつも出港していた。
着任当日、当直士官から上れるときに上陸しておけと言われた意味がよく分かった。
ほとんど上陸できない。
当時の給料は毎月25日に現金手渡しであった。
今は銀行振り込みである。
6月30日に乗艦して、7月25日に給料が支給された。
実習中でも乗組手当と航海手当が加算されていた。
加算されたとは言っても、給料は手取りで15万円程度だったと思う。
8月25日給料が支給された。
ロッカーの中には7月分の給料袋が手つかずにおいてあった。
上陸ができないので、お金を使うところが無いのである。
実習中ということもあり、お盆の休暇も無かった。
8月末にやっと上陸ができた。
ここでお金を使わないと使う時が無い。
一晩で1ヶ月分を全部使おうと決意して上陸した。
一生懸命に使ったつもりだったが5万円位しか使えなかった。
18歳の高橋少年は、お金を使える場所を知らなかったのである。