昭和54年4月5日の朝、海上自衛隊の門を入った。私が入った正門と言われている門は裏門で、本当の玄関は、江田島湾に向いている表桟橋だった。裏門から入って、卒業する時は表桟橋から出て行った。今日から4年間の海上自衛隊生徒生活が始まった。
学校に着くと、直ぐに班に分けられた。班とはクラスのようなものだ。班長は担任の先生みたいなものだが、優しくはない。私は13班だった。11班、12班の3班しかない。60人合格なので、1班20名である。指導生徒が各班に2名付く。鬼の4年生である。
早々、身体検査があった。終わって、ふと気が付くと、母親や叔父叔母はいつの間にか居なかった。
お昼の時間になった。班ごと指導生徒に連れられて食堂に行った。ご飯は盛り放題だが、お米が黄色い。臭い!不味い!みそ汁は赤だし?不味い!今まで食べた中で一番不味い。4か月で10㎏も瘦せた。
午後、全員屋上に上げられた。被服が貸与された。貸与された服が少し大きかった。サイズの合わない者は言えというので「少し大きい」と言うと、「体を合わせろ!」と言われた。サイズが合わない者とは、サイズが小さくて服がきつい者のことだった。「体を合わせろ」とは、体を大きくしろということだった。一理あるが、何てところだ。理不尽の始まりだった。