赤胴鈴之助や柔道一直線が流行っていた頃、町にスポーツ少年団が出来た。剣道部員を募集していたので、友達と入部手続きに行った。ところが、既に定員が一杯で入部できなかった。受付の人が、柔道部員には空きがあると熱心に勧めるので、柔道をやることにした。小学5年生の時である。中学1年の時に一年間だけ柔道を離れるが、25歳で自衛隊を辞めるまで柔道と付き合うこととなる。お陰で柔道3段である。
小学6年生の体育の日に町民体育大会があった。開会式が行われる体育館に行くと、監督に呼ばれた。「宣誓をやれ!」と突然言われた。私は「先生をやれ!」と言われたと思った。紙を渡され、「覚えろ!」と言われたが、何のことか全く理解していなかった。開会式が始まる直前に、選手代表で宣誓をすることが分かった。既に遅かった。読むだけは読んだが覚えられなかった。「選手代表 高橋一雄君」とアナンスされた時には、頭が真っ白になっていた。何を言ったか覚えていないが、大幅に省略をした宣誓であったことは間違いない。本来は晴の舞台であるが、恥ずかしくて誰にも自慢できなかった。
スポーツ少年団で一緒に柔道をしていた同級生は全員、中学でも柔道部に入った。私だけバスケットボール部に入った。これが間違いの始まりだった。